2014.01.21 20:16|受:ワタシ病気録
片側顔面痙攣の手術のあと。

「少なくとも3ヶ月間は、術後検診しましょう」と。

そう、執刀脳外科医に指示を受けて、通院して来た。
今日がおそらくその最終日になる回の、診察に向かった。

朝から、最近にしては、穏やかな晴天。
病院は、いつもの通りに、大混雑をしていた。

気が滅入ることも、不安なことも、悩むこともなく、
診察予約に遅れまいと、小走りに、病院へ入った。
はたから見れば、頭蓋骨に穴を開けたヤツ。
そんな風には、誰にも見えないだろうと、思う。



1006 (1)



執刀医は、診察室にワタシが入るなり、
いつもの大きく、おおらかな口調で「調子はどうですか」と聞いて下さる。
ワタシは、手術をしたことを、もぅ忘れてしまうほどになった、と伝える。

あれほど悩ましかった痙攣は、ほとんど消え去り、
あれほど煩わしかった耳鳴りも、今ではほぼ聴こえなくなった。

口元を尖らせようと、食べ物を租借しようと、
もうどんな状態に表情を動かしても、痙攣も耳鳴りもほとんど、無い。
あるのは、ただただ、傷口の引きつれる感覚のみ。

執刀医も、本当に「良かったですね!」と、たいへん喜んで下さるし、
ワタシ自身も、とても、嬉しい。
尋常でない辛さとしんどい思いをした、入院・手術だったけれど、
総合的に、結果「して良かった」と、ココロから思う。

診察という名の、医師面会を済ませ、診察室を出たとき、
看護師さんも「本当に良かった!」と、言って下さった。

この看護師さんは、入院病棟の方ではないけれど、
何度も術後診察の際、お会いしていたので、
ワタシは「こちらでいろいろお世話になった皆さんに
もうこれでお会い出来ないと思うと、寂しい気持ちです」
そう言ったら、看護師さんは看護師さんで、
「そんな風に言って貰えて、嬉しい」と。

本当にこの病院の皆さんには、よくよくして頂いた。
初めての入院と手術で、不安も怯えもあったけれど、
そんなさまざまな事柄を、すべて”安心”と”信頼”にかえて下さった。

お世話になりました、と、何度でも、申し上げたかった。
ワタシにとって、かけがえのない大事で貴重な体験。
これで、本当に、病院とサヨウナラになった。
ありがとうございました。


こちらの病院で、手術を決意した日に、撮影した場所から、
最後の記念写真に、パチリ。

そのときは、まだまだ暑い夏の終わりの頃。
入院は、10月でも、夏日が続いた異常季節の頃。
そして、卒業の今日は、春の兆しの見える、寒い日のこと。



1006 (2)



両親と待ち合わせをして、病院近くのファミレスにゆく。
両親も、とてもとても幸福そうにしているのが、嬉しかった。

父がふと、レストランのテーブルについたとき
「おまえが病院で、手術を決めて来たって、告白したときも、ここだったな」と言う。
ワタシもそれを思い返していた。
偶然にも、案内されて座ったテーブルも、あのときと、同じ。

起承転結のための始まりの『点』をつけた場所に、
最終のときに、また終わりの『点』をつけに、来たような気持ちになる。

それはまるで、ラテンアメリカの文学のようだと、素敵に思う。
『点』の始まりから、くるっと円を描いて、最初のところに戻る。
始まりと終わりの連結に、永遠を、思う。

ワタシの片側顔面痙攣の始まりと終わり。

医師によると、人によっては、2年間ほどの間、
痙攣が治まったと思ってもまた出て、またじき治まって。
そういうことを繰り返す場合もあると、言われた。
なので、ワタシもこの先のことは、まだ分からない。
ワタシにすべきことは、ただただ、今を喜ぶこと。

執刀担当医等に、感謝を。
看護師さん方々に、感謝を。
入院患者の、ご親切にして下さった皆様に、感謝を。
いろんなことに、感謝を。



1006 (3)



オットに、謝意を。
そして、ちまに、お詫びを。
寂しい思いをさせて、ごめん、だったね、ちま。


入院中、オットが毎日、ちまの写メを撮って送ってくれていた。

それらはもちろん今も大事に残してある。
そして、それらを見るとき、ワタシの胸は、いっぺんに苦しくなる。
ちまの顔と様子が、どの写真も、悲しそうに見えた。
おかしなことだけれど、その写真を見ると、
今、たった今、ちまを膝の上に抱きながらも、ワタシも悲しくなる。
涙がにじむほど、切なくなる。
寂しい思いをしたであろう、ちまのことを思うと、
今完全に密着している、ちまを、無性に切なく思って、強く抱く。

数センチも、ちまと離れていたくないと思う。
1日たりとも、ちまと離れたくないと思う。

あの日の頃の、写メは、本当に筆舌尽くせない、哀愁を思う。
ちまに泣く。
目の前にいる、ちまを思って、また涙する。

ちま。
悲しかったかい。
ごめんね。
もう、ずっといっしょにいる。離れないで。



1006 (5)



かたときも、離れないでいよう。


自分の平凡な日常は、自分のためだけにあるのではないんだな。
そう、少し、思うようになった。

ふつうの暮らしをしていることで、
実は、実に、オットにもちまにも、ふつうでいて貰えることを、知る。
両親にも、そうだと、知る。
義父母にも、友達にも、そうだと知る。
(あ、仕事先もだ←一応社会人として。勤め先のことは、つい忘れそうになるけど)

ふつうの毎日にも、感謝を。


ちまも、ふつうで、いて欲しい。
いつまでも。



1006 (4)



ご声援下さった皆様、本当にどうもありがとうございました。

おかげさまで、すこぶる順調な回復をして、
このたび晴れて、通院すらも、卒業となりました。

執刀医にも「ふつうに暮らして下さい」と言われています。
(ただ、真夏に汗などかくと、傷口がチリチリするかも、なんてことは
 言われていますけれども)

よわい四十路も過ぎて、これからいろいろ
体調の不具合など出るかと思います。
それもこれも、この片側顔面痙攣の入院・手術を思えば、穏やかそうだな。
そんなふうに、思えます(笑)

体調のことは、全般焦らず騒がず、
でも、ちょっぴりジタバタしながら、暮らしてゆこうと思います。

いろいろ本当にありがとうございました☆
皆様も、どうぞ日々お達者でお過ごし下さい。




ランキングに参加しています。ぽちっとおひとつ、どうぞよしなに。               にほんブログ村 犬ブログ MIX小型犬へ
にほんブログ村
2013.11.26 23:03|受:ワタシ病気録
数日前。
勤務先から、指定の診療所にての、健康診断へ行って来た。

それは、街中にある古びたビルの中にある診療所で、
契約している会社の社員等の、簡易健康診断を引き受けている、
”健康診断引き受け診療所”といったところ。

小さな部屋で、すべて流れ作業で、人の空いている隙間の間に、
ちゃっと聴力検査をしたり、体重測定をしたり。
(入室しょっぱなに、医師に問診されてビックリ。
そういうことは、すべて検査後じゃぁないの?!)

それでも。

ワタシは、ふわっと、ノスタルジックな気持ちになっていた。

白衣をまとった看護師さんらが数名いて、
それを見つめているだけで、先日の入院の日々を思い出して。
さらには、血液検査用の血液採取をされたときにいたっては、
その気持ち、MAX。

「懐かしい・・・」

あのときの、病院関係者の皆さんに、
大事にして頂いた日々。
こんな風に、入院・手術のことを思うことが出来て、
これはある意味、シアワセなことかもしれない。
そう、思いながら、古ぼけたビルの1室での、
流れ作業診断を、受けた。

この数日後には、本物の病院での、また外来受診が待っていた。
早いもので、もう1ヶ月が過ぎたのだなぁと思う。


帰り道、自転車でふと通り抜けた場所にあった、
ドーナツ店に、立ち寄る。

雑誌によく紹介されていて、もともとはパン屋さん。
そちらには、美味しかったので、しょっちゅう買出しに行っていたのだけれど、
方向転換されて、今ではドーナツ店に。

きっと美味しいに違いない、と確信していたけれど、
営業時間にいつも間に合わず、買えずにいたお店。
思いがけず、寄ることが出来て、にんまり。

お店はとても洒落ていて、店内も素っ気無いくらい、シンプル。
イマドキの若者が思う”美”は、こういう感じが”素敵”なんだろうな。



1105 (5)



もちもちした食感と、味わいのある粉に「おぉ~☆」
やや細身のこちらのドーナツ。
素朴というだけには収まらない、コクとテク有り。



1105 (6)



そして”本物の”病院へ、外来受診にゆく。


朝から久しぶりの、青空。
ときおり、霧のような雨が舞うけれど、不愉快ではなし。

バスと電車を乗り継いで、1ヶ月振りに向かう道中は、
何だか、とても不思議な気持ちになっていた。

立派な、予約着き・外来受診患者なのだけど、
患者という意識が、改めて病院へ向かうと、ずいぶん希薄になっていた。

先月向かったときは、もっと強烈な”ノスタルジー”的感情が
込み上げていた。
まだまだ入院・手術の経過とそのときの”今”は、密接な感覚でいたし、
実際、傷口のひりひりした痛みも、首筋のダルさも十分強かったから。

でも、さらにひとつき経った”今”では、
もうそういう手術で受けた肉体的ダメージも、
ずいぶん緩和されて来ているし、
何より、問題の顔面痙攣自体が、優しくなって来ている気がする。
だから、なんだろうな、と思う。

穏やかに、おだやかに、平癒への道のりを歩き出した気がする。
有難いことだなぁと、思う。




1105 (8)



病院は、毎度お馴染みの具合で、早朝から大混雑していた。

予約している時間を大幅に超えて、ようやく
脳神経外科の執刀医と面談。

1ヶ月振りのご挨拶を、あらまししてのち、
執刀医の目前で、またお馴染みの、顔面を「ぐーっと閉じて、パッ!」を、する。

痙攣が、若干、出る。

口元を強く動かすと、まだまだ右目がぎゅーっと引きつれる。
耳鳴りも、する。

でも、医師は穏やかに微笑まれて、
「うん。良い方向に向かっている兆しは有りますね」
ワタシも、そう思いますと、心からの感謝を述べる。

何もかもが、先生方の何度も強く強くおっしゃっていた
『日にち薬』なのだ、ということを、
ここへ来て、心底実感しているということも、心から伝える。

口元の筋肉と、目元の筋肉は、とても密接なのだそうだ。
出発地点の根幹が、同じだと。

「たとえば手をこう折り曲げると、
小指だけ曲げて下さいと言われても、
人によっては横の薬指も、一緒に軽く曲がるということ、あるでしょう。
そういうことも、顔面神経にも、あるのです」と。
なるほど。


「だけど、ここでまだ確定しないでおきましょう。
人によっては、完全に痙攣が治まったと思っても、また
ぐーっと出て来る方もいますから。
治り方は本当にまちまちですから。
ただ、良い方向は見えて来た、とだけ、言いましょう」と、先生談。

来月の都合が、ちょっと分かりかねる状況だと伝えたら、
年明け1月中にまた受診してと、指示されて、退室。
こうしてまた少し、痙攣に関する観察時間も、ゆるやかになるのだなと思った。


ただワタシの実感している”耳鳴り”については、
医師とうまく疎通出来ない感じに終わった。

ワタシが、この体感している耳鳴りの音を、
”飛行機に乗っているとき、キーンと来るような感じ”と説明したら、
医師は「うーん」

顔面痙攣で引き起こされる”耳鳴り”の音は
血流が流れるときに起こる音だから「ザザザザー」だと。

う、うーん…は、ワタシの方こそ。
「キーィン」と「ザザザー」に、そんな大きな差異があるとは…
症状を医師に伝える(もしくは、とにかく他者に説明する)ことは、
本当にただでさえ、難問。
その上、擬音までとなると(苦笑)

でもまぁとにかく、それもこれもすべて『日にち薬』
そう、お馴染みの言葉を胸に。
唱えて日々やってゆこうと、思う。

次に医師と面会するまでに、またもう少し、良くなっているといいな。

ちなみに、傷口のむず痒いチリチリした感じは、
”皮膚の再生中”の具合だと、医師より聞いて、これも、なるほどと。
「皮膚の神経は、切って縫合してから、繋がり合おうとして
神経組織が伸びて、再生するのです。
これは神経で唯一、再生する能力をもつものなのです。
その際の、むずむずです。
それは、半年くらいは、あると思いますが、
再生の途中ということですから、辛抱して下さい」とのこと。

かさぶたの治りかけのカユみと、同じなのだなぁ(笑)と思った。



そして、そのあと。

入院中お世話になった、相部屋だった皆さんのお見舞いに向かう。
今度は、外来患者から一転、入院患者さんのお見舞いビトになる。

外来病棟と、入院病棟とをつなぐ、長い長い長い通路で、パチリ。
写真で見るよりも、実際は、もっと、広くて、長い。

この通路を歩くときも、先月よりも、より”見舞い客”気分が強くなっていた。
時間の流れを、また思った。




1105 (7)



ナースステーションで、見舞い客申請をする。

ワタシのことを覚えていて下さった看護師さんが、
受付で「○○さんは、おととい退院されましたし、
△△さんは、えーっと、今朝退院。
でももしかしたら、まだいらっしゃるかも」と。

看護師さんと、△△さんのいらした病室へ、急いで向かう。
その途中途中で、すれ違う看護師さん数名の方々と
慌てながらご挨拶。
「お元気そうで何より!☆」などと、
お声かけ下さっている最中、△△さんを呼び出して下さって、
まだいらしたおかげで、ぎりぎりセーフ!
間に合ったー!

ご主人が今にももぅお迎えにいらっしゃる、というときの
本当にギリギリでお目にかかることが出来て、
お互いワッ!となって、歓喜の手を握りあった。

ワタシは、この皆さんには、訪ねたら、
どうにか入院中にお会いできる、という意識が有り過ぎた。
2~3週間の治療、1週間の退院の繰り返しをされているので、
よほどの都合でない限り、たぶん会えると、そう思い上がっていた。
反省。。。

「次の入院で4クール目だから、終わりやの。
年内に治療が全部済む予定になって、ものすご嬉しいの」と。
マスクをされていたけれど、両目が微笑みで細まっていらした。
本当に嬉しそう。
ワタシも、すごく嬉しかった。

「訪ねてくれてありがとう。嬉しかった!
ルゥさんも、具合はどう?少しずつ良くなっている?
見違えるように元気そうで、良かったぁ」と、
また本当に、いつものように、お優しくて、暖かい。

「今度の入院で、○○さんも私も、4クール目やから、終了やの。
でも、それでほんまに終わったらえぇのんやけどね」と、
ほんのちょっとだけ、微笑みの中にも、弱気な言葉を口になさった。

それは、ワタシの想像だけれど、分かる気がした。
ワタシの外科手術のように、モノを挟んでおわり、ではないガン治療。
経過観察が数年は、あると聞く。
気持ちも乱れる日も、これからも、おそらくおありだろう。

それでも「もうゴールは見えてるしね!頑張る」と。
そして。

「こんな年でも、まだ生きることに未練あるの。
まだもう少し生きたいなって。
まだもう少し生きてたいなって思うの」と。

ワタシは、そう朗らかにおっしゃる△△さんの姿に、
ダッと、涙が出そうになったけれど、
いけないいけない、今日これからめでたい退院のとき!
湿っぽいことは、なし!と、そこはグッと耐えました。

来月12月中は、ワタシは外来受診が消えてしまったので、
一応これで年内病院訪問は終了したと、△△さんに伝える。
「良かったねぇ。○○さんにも来月伝えとくわね。
私だけがルゥさんに会えた~ゆうたら、○○さん、
悔しがらはるわ~」と、笑って下さった。

そのとき、一瞬メールアドレスの交換を申し出ようか、と
頭に浮かんだのだけれど、止めた。
はっきりとした意思を持って、止めたのではないけれど、止めておいた。

このままするっとここでサヨナラ、がきれいなのかもしれない、と。

それでいながら、心はものすごく揺れた。
でも、お付き合いなどとご負担になっても、と。
(ワタシの母が、極度の遠慮しがちビトなので、
好意を寄せられると、とたんに有り難さゆえの気疲れするのを見ているので、
母と同年代のこの方々には、それゆえ若干気を配ってしまう)
とにかく瞬時に心ぐらぐら。

ただ「来月○日に、○○さんは再入院で、
私はその2日後に再入院やの」と言われたことは、聞き漏らさず。

メールアドレスはおろか、ご住所も存じ上げず。の、
入院期間中のほんの数日間の、出会いだったこの皆さん。
これで消えていいものかどうか、ワタシだけが、煩悶中。。。
病院も、個人情報保護の観点から、何も教えてくれないし、
かかわることが出来るとしたら、もう来月上旬しか、確実は、ない。
ちょっと考えよう。


でも。

ワタシの顔面痙攣で受けた手術も、少しずつ、時が流れた。
少しずつ、過去のことになりつつある。

まだまだ痙攣は継続するものだけれど、
それでも、手術前に比べると、ずいぶん軽減されている。
だから、大満足ではなきにせよ、満足はしている。
(完治すれば、100点満点の花まる大満足!だけど)

相部屋で、ほんの少しの間だけだったけれど、
擬似家族にように過ごして、ご親切にして頂いた、皆さんにも、
ひとしく同じだけの、時間が流れた。

一時ではあるにせよ、退院されて、
次の入院があっても、それでとにもかくにも、
抗がん剤投与の治療は、終了になる。
それだけ、耐えた時間が、流れたのだし、
また次の時間の流れがある。

どんどん、過ぎてゆく、時間が、そこここに、ある。

それらすべてが、ハッピーだといい。
誰もが望むハッピーであると、いい。

病院は遠いものになりつつあるけれど、
でもやっぱり、病院へ向かうと、
辛かったときに感じた体験から来る思いが、湧き出てくる。
この立ち上る感情は、日常の中からは生まれて来ない。
だから、この顔面痙攣での入院・手術は、
ワタシにとって、かけがえのない財産になったと思っている。



ちま。

愛しの、ちま。

ちまにも、たいへんな思いをさせたね。
いろいろどうもありがとう。

ちまは、ワタシが入院を始めて、3日目の夜更けに、
ワタシの居ないお布団の上で、突然泣いたと、オットから聞いている。

「そんなこと、ルゥが留守する前も、
今も、ただの一度も、ないよね」と、オットとついこの間、話題にした。
ちまなりの、新しい体験をしていたのだと思う。

もう、辛い思いからの発露のような、
新しい体験は、ちまにはさせたくないと思う。

また、ワタシだっても、
オットから送られて来る、ちまの写真を見ることは、したくない。
いつでもそばで、触れていたい。




1105 (1)



ちまちゃん、ごきげんでいて。
ワタシもそうありたいし、オットにもそうあって欲しい。




1105 (2)



両親にも、義父母にも、姉家族にも。
友達にも、ちょっとした知り合いにも。
ブログでお見知り置き頂きたい方々にも、ごきげんであって欲しい。

もっと言い出せば、電車で目が合って
微笑んで下さった女性にも。
バスで席を詰めて下さった男性にも。
どなたにも、誰にも、等しく、そう願っています。

病院へゆくと、本当に、そう、心から思います。
(やっぱり有り難い場所なのだなぁと、つくづく思います)




1105 (4)



ご近所の花も、落ちて朽ちて、枯れた。
冬が来るんだなと、知る。

1ヶ月経ったのだなと、知る。
時間の流れを、目にもって、知る。

本当に良い経験をしたと思う。




1105 (3)


日にち薬を思いながら、気楽に痙攣と付き合います☆





ランキングに参加しています。ぽちっとおひとつ、どうぞよしなに。               にほんブログ村 犬ブログ MIX小型犬へ
にほんブログ村
2013.11.02 21:30|受:ワタシ病気録
片側顔面痙攣の入院・手術+自宅療養=1ヶ月。
お休み頂いていた職場に、11月1日戻りました。


職場の<ほとんどの>皆さんは、暖かく出迎えて下さり、
たくさん、いたわりのお言葉を貰い、
たくさん、思いやりの心を頂戴しました☆
感謝の気持ちでいっぱいになりました。

でも、そーでナイよ~な人も、中にはあって。

悪意を持って”そんな”感じ、というコトではなく、
他人がどうでも<興味無し>というのが、真相な気がします。

「1月の間、どうもたいへんご迷惑をおかけしました。
また頑張りますので、宜しくお願いいたします」
そう言うコトバに「あ。はぁ」
めったと会わない、接点もない、夜の学生バイト君でも、

「大変だったそうですね」
「もう大丈夫なんですか」
「無理しないで下さいね」の、どれかは、言ってくれましたが。

立派な立場の【おとな】でも、それがポッと、口に出ない人は出ないんだなぁ、と。

でも。
それもこれもすべてひっくるめての”社会”なんだよなぁ、と、思います。



左を向いては…



1021014 (2)



むー



1021014 (1)



右を見ては…



1021014 (4)



ぬーん



1021014 (3)



いろんなことが起きます。
良いことも、ときに、そうでないことも。



1021014 (5)



いろんなひとがいます。
良い人も、中には、残念なひとも。

そういうの、ぜんぶまとめて、社会。



1021014 (14)



ちまと、公園で、一緒に走りました☆

何気なくふらり、立ち寄った早朝の公園に、
思いがけず誰もいなくて。
ロングリードは持参していなかったのですが、
通常リードで、ワタクシ、必死のパッチで(笑)走るの、付き合いました。



1021014 (6)



1021014 (7)



ワタシだけ、ふらっふらです(苦笑)
ちまは、大歓喜で、猛烈ダッシュを繰り返します。



1021014 (8)



1021014 (9)



ちまも、毎日を、奮闘しています。

喜んだり悲しんだり、嬉しかったり苛立ったり。
いろんな気持ちで、奮闘していると思います。



1021014 (10)



生きるってことは、そういうことなんだと思います。
前向きでもなく、後ろ向きでもなく、
ふつうに、そういうことなんだと思います。

でも、ちょっぴり”社会”では、
ガンバリも必要だったりすることも在ります。
それは、きっと、ちまだって、同じ。

だから、ちまと一緒に、ちょっと、ときどき、
「フンガー!」と、燃えたりしようと思います。



1021014 (11)



1021014 (15)


走りに無我夢中になる、ちま。
燃えると、ときに、ヘン顔に(笑)

頑張る、ちまの、ヘン顔が、
ワタシもオットも、大好きです☆




何でもない葉っぱを、パチリ。
何でもなくても、暮らしてます。



脳外科手術から、ほぼ1ヶ月経ちました。

ものすごく、劇的なまでに早く感じた、この1ヶ月間でした。

職場の皆さんは、ワタシに傷口の大きさを見て、
ぎゃー!と叫んで下さったり、ゾワゾワ恐れて下さったり、
あるいはすごく興味深く「じっくり見せて!」と言われたり。
たいへん面白い、ちょっとした『珍しいモノ鑑賞』祭りのような、
職場復帰の日となりました。

ワタシにとって、とてもいろんな意味で、記念になりました(笑)☆

11月度ということで、職場は早くも年末モードがチラホラで、
忙しくなる前夜、という感じで、すること・やること目白押しでした。

思っていた以上に、ワタシは通常な具合で、疲れも無く、
ドタバタ駆け回り、の、あっという間の一日で、
1ヶ月間、入院手術したことが、自分でも「ウソみたい」と思います。


痙攣と耳鳴りは、相変わらず、地味に継続中です。
でも、のんびり、やってゆこうと思っています☆



1021014 (13)





ランキングに参加しています。ぽちっとおひとつ、どうぞよしなに。               にほんブログ村 犬ブログ MIX小型犬へ
にほんブログ村
2013.10.29 21:13|受:ワタシ病気録
片側顔面痙攣の手術後、初めての、脳神経外科医の術後受診をする。



退院してからちょうど2週間。
病院に向かう気分は、何とも不思議な思いがした。

ちょっと懐かしい場所へ向かうような、気分でもあり、
ちょっともう出来れば来たくないような、気分でもあり。


病院の正面玄関から眺める。

タクシーや自家用車で、朝から渋滞していて、
それにともない、通院患者さんやお見舞いの人々などで、
ホールの待合シートも、早くもぎゅうぎゅうになっていた。
病院は、本当にたくさんの人が集まる場所なのだなぁと、
改めて外来患者のひとりとして、訪問すると、そう、実感する。


大きな診察受付カウンターで、予約受診の申し込みをして、
脳神経外科の待合で、執刀医の診察を待った。
手術執刀医にお会いするのも、もちろん2週間振り。

普段のワタシはとてもおしゃべりで、ガハガハ笑う。
でも、医師の前では、緊張する。
緊張する最大の理由、それはやっぱり、
痙攣と耳鳴りが、継続して出ているから。
これが無ければ、スカーッ!とした表情で、
先生にもお目にかかれるのになぁ…と、ちょっとだけ、残念になる。



名前を呼ばれて、久しぶりに執刀医に面会。
あらましのお礼とご挨拶を申し上げ、すぐ話題は当然経過のこと。

医師の指示で「めをギューッ!と強くつぶって、パッ!と開けて!」を
数度くり返してみせる。
案の定、痙攣が出る。
手術した側の右目が、きゅっと、痙攣が出ると共に、縮じむ。

「うん。痙攣出てますね」と、医師。

ちゃんと、先生の前で痙攣が出て良かったと思う。
口で説明して「出たり出なかったりです」というだけよりも、
断然証拠として分かり、現状が伝わるから。

ただ、痙攣の頻度は穏やかになっていると思うこと。
痙攣している時間も、やや短くなっていると思うことなどを伝える。
それと同時に、耳鳴りが取れないことも、説明する。
新幹線の高速のときに、飛行機の高度にいるときになるような、
耳の奥底で”キィーン”となるような、そんな感じで、
目を強く動かしたり、強く口元を動かしたりすると、なると、説明する。
ただ、それも、以前ならまばたきをするたびに鳴っていたように思うが、
それは少し軽減された気がする、とも、話す。

「とにかく、入院中にお話している通りです。
何度も申し上げていますが、少なくとも、3ヶ月は様子を見ましょう。
私としても、術後にピタッ!と治ってくれるのが
一番嬉しいし有難いんですが、こればかりはどうしようも出来ません。
おひとりずつ、治る経過も違います。
ゆっくり痙攣が治まる人もいれば、なかなかそう行かない人もいますから。
とにかく3ヶ月。
経過観察して行きましょう」


「3ヶ月して、さらにもう少し見てみて、
それでも痙攣具合が…ということになるようだったら、
そのときは、また今後のことを相談しましょう」とも言われる。

恐ろしいような。
ガッカリするような。

でも。
”不治の病”でないから、また何だったら手術すればいいのだ、
と思えば、まぁいいか、などと思ったりもする。
開き直りとは、このこと。
”治す手立てがあるということ”
それだけで、まぁもぅ御の字だと、思えば、思える。
(半べそかきながら、だけれど:苦笑)


医師は傷口確認もして下さり「もうパーマでもカラーリングでも
お好きにどうぞ。シャンプーも恐々でなくても大丈夫」と、言って頂く。

首筋がまだ”寝違え”のように痛む、と言うと。

「首筋の筋肉を切って、また縫合しているので、
縫っても切ってもいない側から、引っ張られるような感じはあると思います。
でも、時間とともにその痛みも消えます。
痛いからと動かさないでいることは、必要ないです。
ぐりぐり動かして貰って、ぜんぜん大丈夫です。
むしろ普通に動かすことで、筋肉というのは弾力があって、
収縮性もあるので、伸びやかになると思います」

恐れてばかりで、恐々だらけのワタシ。
こういう、怯えて大事過ぎる方が、むしろ治りの遅延を引き起こすのかも。
適度な運動の重要性を、また、改めて実感。


また1ヵ月後に、執刀医に、受診。
そのときは、もう少し、いろんなことが和らいでいてくれるといいなぁ。


ちなみに、社会復帰。
「もう存分にして下さい」とのこと。
医師におおらかに、そう言って貰うと、気が晴れた。
痙攣と耳鳴りくらい、何さ。
今までの暮らしを取り戻す。
会社に戻り、勤労してサラリーを頂き、
帰り道に食材を買って戻り、家事炊事をする。
友達とときどきお茶をして、無駄話をして、
上司や社会のぶうぶうで、立派なクダを巻くこと(笑)

今は、オットとのんびりくつろぎ、
ちまと気ままにお散歩に出かけ、遊ぶ。
これだけをして来た、この、2週間。
そろそろ本当に、元の暮らしに戻るときが来たと知る。

傷口が、とてもかゆい。
治りだしている証拠。


頑張ろうと思う。




DSC039341011 (1)




入院中いろいろ良くして下さった、
穏やかで暖かい、大部屋の皆さんに面会に、入院病棟へ向かう。

この通路は、外来病棟との大きな境目。
この通路の向こう側は、入院患者とその担当医と看護師さんの世界。

入院をする日、初めてこの通路を、案内して下さる看護師さんと、
両親とオットと歩いた。
みんな口が重たくて、誰も馬鹿な言葉を使わないで、歩いた。
この角の向こうにあるのは、日常とは完全に違う世界。
その、通路だ。


ワタシは入院中、ここを何度も通った。

となりの病棟にある売店に向かうときに。
外来病棟の中にある、コーヒーショップへゆくときに。
お見舞いに来てくれた、母の親友おばちゃま達をお見送りするときに。
出勤前に、タクシーを飛ばして会いに来てくれていた、
オットを仕事先へ送り出すときに。
そして、もちろん、毎日朝晩、様子を見に来てくれていた、
両親や姉家族を出迎え、見送るときに。

日常から来る人々と、入院患者として
この病棟の部屋に”住む”ことになった、ワタシとのかきねは、
本当にこの通路の、こちらと向こうの、差なのだった。


今は、ワタシは外来患者として病院に来て、
この通路は、ただの見舞い客として、通る。

それはとても、たんなる訪問者ののんきさを、有り難く思った。
そして、それと同時に、またいつか、
この通路の向こう側の人になるかもしれないとも、思った。
とにかく、何とも言いがたい、
とらえようのない、透明な気持ちになった。




DSC039341011 (2)




2週間前までワタシの”居場所”があったフロアにつく。

でも、もう入院患者ではないので、ナースステーションに
”面会者”の一覧へ、ワタシの名前と面会相手名を記入する。


看護師さんの数名の方に「あ、ルゥさん」と、お声をかけて頂く。

「見違えるように元気そうで、良かった!」と、
口々に言って頂いて、その優しさに、感激で泣けて来る。

うんと良くして下さった、美しい若い看護師さんと、立ち話をする。
退院後、自宅に戻って過ごし出すと
「自宅に戻ってホッとしながらも、うんと良くして下さった、
病院の皆さんのことを思い出して、ぽかんと寂しくなりました」とお話したら、
「そんな風に思って貰えて嬉しい」と、笑顔で言って下さった。

いつもいつも、ワタシの体調を気にかけて下さってありがとう。
早朝から深夜まで、ワタシの様子を見守って下さってありがとう。
暖かい声援や応援のお言葉を、かけて下さってありがとう。
ありがとうの言葉を、看護師さんに言えるだけ、言った。
「でも、来たくない場所ですよね、病院ですもの」とも言われた。
そうであるような、そうでないような、空間。


執刀医には外来でお会いしたけれど、
医長医師とはお目にかかれないので、どうぞ宜しくお伝えを、と言うと、
つい今さっきまでこのフロアで、患者の回診をされていたと聞き、
タッチの差でお会いできなかった。
残念。
医長医師にも、大・大・大・感謝を、2週間経っても
改めて言いたかった。


大部屋でご一緒だった皆さんに、面会に伺う。
おふたりがおられる。

「すごく元気になられて!誰かと思いましたよ!」と、
ものすごくものすごく、面会での再会を喜んで下さった。
ワタシも嬉しくて、お互いに手を握り締め合う。
ちょっと、泣いてらした。
ワタシも、感動する。


ひとりの方は、先週末退院されていて、
また2週間後に再入院で、抗がん剤治療の3クール目だと聞く。

ふたりの方がおられて、そのうちおひとりは、
近日中にご退院。
今回の治療で、晴れてすべての卒業。
ただ、いろんな数値が思わしくないということと、
ちょっとお辛そうなご様子だったので、早々にベッドへ戻られる。
もうひとりの方は、ご様子も良く、ずいぶんお喋りをする。

「5日前から再入院しているの。
まだ1週間も経ってへんのに、もぅ時間が長くて長くて…
しんどいわ。。。ほんとに、しんどい」と、
笑いながらため息を深くされる。
でも、この治療を越えなければ「本当の春は来ないと思てるから」とも。

食欲が少し減退していて、でも血糖値が安定しないから、
おやつは控えてと、ご自身でいろいろ考えてらした。
「食べることだけが、入院してると楽しみ」と。
今日のお昼ご飯が”鍋焼きうどん”だから、期待してる、と。
次の外来診察のときには、持って伺ったお菓子だけではなく、
何かご飯の友みたいなものも、贈ってみようと思う。


「恐ろしいような手術、よう決心しはって。頑張らはったね。
ご家族の皆さんも、ほんまに喜んではるでしょうね。
ワタシもルゥさんのお元気な今に会えて、ほんまに嬉しい。
よう会いに来てくれはって。
元気貰った!」

帰り際、そう笑って言って下さって、泣いて下さった。


ほんの短い数日間のことだったけれど、
ワタシの過ごしたこのフロアの、あの病室では、
本当に小さな”家族”になっていたと思う。
それも、お互いに、本物の家族とは分かち合えない、
病人としての辛さやしんどさ。
手術を経験した者同士の、怖さや不安。
入院患者として、双方で支え合う思い。
そういう暖かくて、それでいて、切ない関係が、あった。

ワタシと皆さんとの間には、
確かに、確実に、思い合う気持ちが、ある。


また来月、お会いしに伺います!
そのときには、またおしゃべりしましょう!
どうぞ、お辛いでしょうが、治療に専念して頂けますように。
そして、願わくば、その治療の辛さが、今後の皆さんの、
すべての不安や恐れを払拭するものでありますように。




入院病棟をあとにして、実家へ歩いて向かう。

外に出たとき、病院を振り返って、写真を撮る。
手術を決意して、手術に備えたプレ検査を受診した
あの日と、同じ角度から。

そのときに咲いていた花が、まだしおれながらも、あった。
思えばまだ、そんなに昔の話ではないのだなと、感慨にふける。
時間の流れには、ときどき、本当に、不思議に思わせられる。





DSC039341011 (3)




気長に、ゆこうと思う。

また来月、片側顔面痙攣の経過を見せに、この病院へ来る。
気長に。
気長に。




DSC039341011 (4)




実家に以前、押し付けた(笑)
頂き物の植物『ハカラメ』が「これだけ育ったわよ」と見せて貰う。

たった1枚の葉っぱだったのに!スゴイ☆
成長していた。

「添え木もして、大事にしてるの」と、母もご満悦。
押し付けたワタシだけが、妙な感動。

術後は、やたら小さなことでも大きなことでも、感激する。
ひとが素直になったのかもしれない。
人柄も上等になるといいな。




DSC039341011 (5)





ランキングに参加しています。ぽちっとおひとつ、どうぞよしなに。               にほんブログ村 犬ブログ MIX小型犬へ
にほんブログ村
2013.10.25 15:13|受:ワタシ病気録
ワタシくらいの年齢のひとなら(四十路超え)たぶん、
多くの人が、今もつい『看護婦』さんと言うと思う。

でも世間では『看護師』さんと呼ぶようになっているようなので、
声をかけるときには、一瞬とどめてから『看護師』さん、と口にしていた。

これも現代の”職業上の男女平等”から来たことだと思うけれど、
なかなか馴染めないままだった。
総称や表記としては”看護師”で統一して、
お呼びする際には、
女性の看護師さんのことは『看護婦』さんで、
男性の看護師さんのことは『看護氏』さん…なんて感じで。
どうかなぁ、なんて、思っていた(笑)


看護師さんにも、当然だけれど、いろんな方がいた。

ワタシがお世話になった総合病院は、大規模な部類の病院なので、
看護師さんの総数は、結構いらしたと思う。
フロアで2チーム編成されていたので、
最後まで、どなたの名前も覚えることが出来なかった。
(しかもワタシはかなりの近眼なので、眼鏡着用でも、
世界はめっぽう、曖昧だから)

でも、日々、看護師さん達のお世話になっていると、
じょじょにパーソナリティが掴めていった。

テキパキさん。
おっとりさん。
どすどすさん。
シャキシャキさん。
あわてずさわがずさん。
おしゃべりさんに、無口さん。
それに、瞬時に機転の利く人もいれば、さほどそうでもナイ(苦笑)人もいたり。


興味深かったのは、点滴の差し替えのとき。

今回のワタシは、手術後、数種類で何袋もの点滴が有った。
なので、腕には極細のナイロン製のような針が、
ずっと刺さったままで、袋だけを差し替えて、点滴していた。

とても几帳面な看護師さんは、点滴を差し替えるとき、
各差込口とか、チューブの口の辺りとかを、サササッとコットンで拭かれた。
(きっとアルコール除菌綿)
また「最近ではこうするんですよ」と言われたのが、
ちょっと冷えた、透明の液体(食塩水?)が入った、細い注射器で、
ちゅーーーっと、次の点滴をぶら下げる前に、ワタシの腕に注入される。
(そうすることで、前の液体の停滞をほどき、次の点滴が
入りやすくなるのだそうでした。すごい細やかー!)

これらは、する看護師さんとしない看護師さんがあった。
ルールブックとして、決まりはないのかもしれないけれど、
でも何となく、患者のワタシとしては、それをしてくれる看護師さんの方が、
すごく丁寧な医療配慮だなぁ~と、内心大人気だった(笑)


さらに。

たいがいの看護師さんは、点滴やそれにともなうグッズ類を、
台車に乗せて来るのだけれど、それだけを手に、来る看護師さんもいた。

点滴を取り替えて、空いた袋を『ぽーーーんっ!』と、
ワタシの寝ているベッドの足元へ、放り投げた看護師さんもいれば(笑)
一連の作業を、しとやかにしずしずと交換する人もいて。
人柄が出ているようで、とても面白かった。




ワタシが大部屋でご一緒させて頂いた、ガンによる長期治療中の
みなさんと、おしゃべりしていて、
先生にも、人気・不人気があることを、ちょっと知った。

不人気な先生の理由は。
「先さき、いつも思わせ振りな言い方、しはるねん(苦笑)」

抗がん剤治療などの投薬のとき、
事前に血液検査等をして、数値が良ければ治療開始で、
数値が思わしく無ければ、治療の予定が少し変わるらしい。
その”少し変わる”でも、次のステップへの移行もずれ込むし、
それで退院までの日数も、もしかしたら、ずれ込むかもしれない。
長期治療・入院の患者にしたら、ちょっとのことが、大きな存在。

「数値は多分良いと思うから、治療やりましょうとか、
一度なんか、退院はいついつで大丈夫だと思いますよ、
なんて言わはって。
先生にそう言われると、期待するやん?
数日の違いやろけど、期待するもん」と。

元気つけようと、医師はしているかもしれない配慮が、
ときに、患者をしょんぼりさせていたりするのだなぁ、と知る。


また「聞いたことしか、答えてくれへん」という先生も、不人気だった。

ワタシはどちらかというと、質問したことにさえ答えて頂けたら、
それで十分☆と思うのだけれど、
この辺りは、個人差があるようで、とてもデリケートな問題だと思う。

先日テレビの報道番組で”街の名医”と取り上げていた医師は、
患者のつぶやきのさらに奥側まで、汲み取って、説明していた。
一通りのことを、医師が説明し終えたときに、
患者が「…」というような、不明確な態度をしていたら、
それを察知して、その症状についての他の例や、
それにまつわる諸症状への対処法など、細かく説明をしていた。
それでようやく患者は、晴れやかな様子になって、退室していた。
なるほど~確かに名医と呼ばれるにふさわしいかも。
患者側の不安を、軽減してくれる、医師の存在は、とても大きい。

ご年配などの患者さん等は、なかなか”先生”に
物申すようなことは出来ないだろうから、
先生側から不安な気持ちを汲んでくれると、有り難いだろうと思う。
この辺りは、やっぱり個人差があるだろうから、
やっぱりとてもデリケートな問題だと、本当に思った。



それから『イキモノ』の存在の大きさ。


病院だから、もちろん『動物』はいない。
でも、病棟の外にひとつ小さな溜め池があって、
そこにいる”金魚”が、患者さんのアイドルになっていた。

入院期間が長い患者さんは、その金魚たちが
うんと小さかった頃から知っていると。
「今ではこーんな大きくなって」と、笑ってらした。
「金魚だけど、近寄れば寄って来るの。すっごく可愛い」と。

金魚は、本当にたくさんの患者さんの憩いで、
パンの残りなどを、エサにあげる人が増え過ぎたらしく、
ある日から【エサを与えないで下さい】看板が立ってしまった…と、
皆さんいっぺんに、ガッカリされていた。

患者さんの中には、わざわざ”金魚のエサ”を購入して来て、
毎日あげていた人もいたそうで、
とにかく皆さん、しょんぼりされてしまった。

ワタシはそのとき「イキモノの持つチカラって、すごいなぁ!」と
ものすごく感心した。
水の中に生きる金魚でも、この憩いパワー!
だとすれば”毛皮着用”な、肌にぬくもりを持つ猫や犬などが、
セラピーに一役買う!というのは、
本当にすごい効力を発揮するだろうなぁ!と、実感。

慣れない多くの人々に会い、触れられることは、
実は『動物』達には、ストレスが有る場合もあると聞いたけれど、
でも、長期入院などの患者さんには、
本当に(イキモノ好きな方々には)心からの楽しみになると思った。

日本ももっと『動物』と病院の距離が、近くなればいいのになぁ。
そう、とてもとても思った。



それからやはり、一番思ったことは『死』について。


ワタシの同室の皆さんは、つねに『死』をそばに思っていらした。
”この治療が済んでも、また再発したら…”
その不安を、同じ治療中の皆さんが
お互いに叱咤激励し合い、助け合い、支え合ってらした。

「私ね、今まで風邪ひとつ引かへん丈夫な人やったん。
でも、定期健診で肺に悪いものが見つかって。
受け入れられへんかった。
治療中の今でもまだ、正直ゆうて、受け入れ切れへんの」と、
笑いながら涙ぐんでおられる方もいた。

公共スペースの食堂で、お茶など一緒にしているときに、
1度、お亡くなりになった方を乗せたベッドが通るのを、見た。
医師や看護師さんが、そのベッドが通られたとき、
皆さん深々とおじぎをされていたのを見て、
食堂に居た多くの人が、しんみりされていた。


でも。

ワタシだって”今は”何ともないだけで、近い将来
どうなるかなんて、神様しか知らないことだ。

例えば、ガン細胞は誰しも持っているそうで、
それが何らかの具合で、ガン化するだけだと。
だから、ワタシだって”明日はどっちだ”の身といえる。
そう、入院中に、以前よりも、ものすごく思うようになった。


言い方はヘンかもしれないけれど、
『死』をそばに思っているひとは、とてもひとに優しいと思う。

同室だった皆さんは、ご自身が本当につらい治療中なのに、
外科手術でへろへろになっていたワタシに、ものすごく優しくして下さった。
たくさんご声援を下さり、たくさん激励も下さった。
一進一退の体調にも「大丈夫大丈夫!」と応援して下さり、
ワタシの退院も、わがことのように、喜んで下さった。
自分がしんどいときに、ひとに優しく出来るのは、
本当に、生きる”一瞬一瞬”を、大事にしているからだ。
そう、ものすごく感じた。


入院中にあれこれ読んだ本の中で、特に印象に残ったもので、
ひとつは『徒然草』

その中で【大病ひとつしたことのない、めちゃんこ健康な人とは
本当の仲良しにはなれない】(←ワタシの超訳)とあった。
これは、鋭い意見だなぁ(笑)と思った。
ワタシも小さく、吉田兼好に同意する。

それから、もうひとつには『腰抜け愛国談義』
作家・半藤一利氏とアニメーション作家・宮崎駿氏の対談集。

その中に、半藤氏が、東京大空襲の戦禍の中、
川に落ちて溺れ死ぬ寸前に、見知らぬ人に
小舟に助け上げられた。
みんなが自分の命を守ることだけに精一杯のときに、
人助けのその親切!それが1度目のひとの奇跡の親切。
2度目の、ひとの奇跡の親切が、その翌朝。
これまた見知らぬ人が、裸足だった半藤少年に、靴をくれた。
大空襲のあとの一面の焼け跡は、裸足ではとても歩けない。
それを、そのとき、見知らぬ少年に、貴重な靴をくれた人が居た。
それが、ひとの奇跡の親切の2度目の出会い。

このことが、半藤氏を、ひとに優しく出来るひとに、した、と。

そして作家・堀辰雄。
宮崎氏が、人生最後の作品にした映画『風立ちぬ』の、原作者。

その堀辰雄も、東京大空襲で、川に溺れた。
堀辰雄は、近くを通る舟に助けを求めた。
そのときに、堀は見知らぬ人に、舟から突き放された。
そしてその後、知人の乗る舟が通りががり、救い出された。

堀辰雄は、生涯、ひとに、とても穏やかで優しい人だったという。

宮崎氏はこの”見知らぬ人から突き放されたことが、
堀辰雄の優しさを生み出したと思う”と言っていた。




今回のこの入院・手術で、
ワタシは、ひとに誠実でありたいと思うようになった。

ワタシの職場には、ものすごい大病を患い、
何度も入退院を繰り返したと公言しているのに、
残念ながら、まったく温情を感じさせない人がいる。
たぶんもともとの品性がイマイチなのだと思う(苦笑)
そういう人のいる社会へ、またワタシも、戻る。
いろんな人が居る。
でも、暖かくて穏やかで、思いやりがあって、優しい人もたくさんいる。
ワタシ自身がどうあるか、が大事なこと。
そういうことも、今回、学べたと思う。


姉が携帯電話で撮った写真を、今頃送って来てくれた。
(ベッドで、悶絶で卒倒中のように横たわるワタシも、多数:苦笑)
これは、術後2日目くらいだと思う。

今でこそ、この渦巻き・ボファボファ頭は、笑える(笑)

傷口写真も多数あるけれど、ものすごく強烈な映像で、ホラー映画並み。
ゾワゾワ人をさせたい思いは有るものの(笑)
記事に貼り付けは無しにして。


いろんな思いを、忘れないように、という
大切な1枚になると思う。






0151008 (2)




のんきに、気長にやってゆこう。






0151008 (1)







ランキングに参加しています。ぽちっとおひとつ、どうぞよしなに。               にほんブログ村 犬ブログ MIX小型犬へ
にほんブログ村
03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
プロフィール

ルゥ

Author:ルゥ
京都のすみっこから、オットとマルプー・ちまとのんびり暮らす日常を気ままに綴ります。

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

ひねもす手帖 京都のすみっこから